11 Jun 1999
(松尾芭蕉「奥の細道」より)
「松島青瀧山瑞巌円福禅寺」即ち瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の禅寺である。
平安時代の初め天長5年(828)、慈覚大師円仁により開創され、
天台宗延福時と称した。鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権北条時頼公が
法身性西和尚(俗名 真壁平四郎)を開山とし円福時と改称。建長寺派の禅寺に改めた。
円福寺は鎌倉時代の庇護の下に大いに栄え、室町時代も五山十刹制度の諸山に位置づけられ
末寺を作り発展した。しかし、戦国時代に寺勢は衰え、その末期に妙心寺に属した。
江戸時代の初め、仙台62万石の祖となった伊達政宗が、師傳虎哉禅師のすすめで現在の
大伽藍を完成させた。工事は慶長9年(1604)に始まり、桧、杉、欅の良材を熊野に求め
京都.根来の名工を集め5年がかりで完成させた。本堂御成玄関.庫裡回廊は国宝に
御成門.中門は重要文化財に指定されている。
寛永13年(1636)政宗公の遺言で来松した名僧に冠する大禅刹となり、周辺にも円通院.
陽徳院.天麟院等が造営され、江戸時代中期には30にあまる寺街が形成されるに至る。
しかし、芭蕉によって「金壁荘厳光を輝し」と詠われた障壁画も、360年の歳月を経て
劣化著しく、昭和60年から10年継続で211面の障壁画群の保存修理と、創建当初への
復元模写事業が行なわれ、平成7年に完成した。
資料:瑞巌寺拝観パンフレットより